浦神の歴史


浦神の歴史 〜このと共に生きて〜


と共にあった暮らし

ある日、町役場をおとずれて、町史を拝見させていただいたことがありました。
町史によると、「昭和 23年から県費補助で宮城県産の牡蠣の種苗10万枚を購入し、旧那智町地先で養殖の指導したのが最初である」。こう記されてます。
次いで「真珠養殖筏の増設」等のことも記されていることにより、いかに栄えていたかがうかがえます。
以来、漁師たちは知恵と技術を磨きながら、この海の恵みを育み続けてきました。

東漁協の浦神支所のホームページによると、当時は、「カツオ節の加工場がいくつも立ち並び、区の主産物であった」「その後湾内で真珠養殖が鰹節にかわる区の主要産物となった」と記されてます。
魚をとる人、加工する人、育てる人、それぞれの役割が海と結ばれ、この町ににぎわいと活気をもたらしていたことがうかがえます。

かってはこの湾に、海の上に建てられた小学校があり、“教室の窓から魚釣ができる”と言われたくらい、いかに海に近くて囲まれていたことがうかがえます。
昭和54年には、追われたイルカが湾内に逃げ込んだこともあったそうで、そんな海と暮らしが自然に一体となった生活が、この町の原風景として語り継がれています。

明治40年頃の浦神小学校周辺写真(浦神小学校100周年誌より)


変わりゆく時代の中で次の世代へ、
このの記憶を

今、私たちは新しい技術と知恵を取り入れ、
この海の歴史と文化を絶やさぬよう日々挑戦を続けています。
この土地で育まれてきた、海の恵みと暮らしの記憶を胸に、次の世代へこの海の物語をつないでいきたいと思います。